「給与DXのエムザス」 給与とシステム両方を本業に約20年

社長とれんど考察

「素心 > 野心」

2017年9月1日

■あるのは素心だけ
最近読んだ本の中で気に入ったフレーズは「野心も私心もない。あるのは“素心”だけ。」というものです。これは、城山三郎著『「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯』の中の主人公石田さんの人柄を表したものです。石田さんは、当時は誰もが就任することを嫌がった国鉄総裁というポストに78歳で財界人から初めて飛び込み、問題の山積する国鉄改革にリーダーシップを発揮した方です。小説では好意的に国鉄での出来事が記されていましたが、死亡事故が起きた際には、「白髪を振り乱し」「嗚咽で弔辞も読めなかった」など魅力的な人柄を示すエピソードも印象的でした。今回は、この本で知った言葉、“素心”を掘り下げてみたいと思います。

■交友関係の極意
この“素心”という言葉の出所は、『菜根譚』です。前集十五項に「友に交わるには、須らく三分の侠気を帯ぶべし。人となるには、一点の素心を存するを要す。」とあります。人づきあいの極意を示すものとして、友人と交わる際の心の持ちようを説く言葉ですが、その大意は、「友と交わるには三分の“おとこ気”が欲しい。人として生きるならわずかでも“汚れなき心”が欲しい。」 というところでしょうか。“おとこ気”だけではなく、わずかでもいいので、俗世の悪に染まらないような“汚れなき心”を持っておかないといけないと説きます。また、良い交友関係を作るには、打算や私利私欲で動かない真の友人を得るべきだという意味もあるといわれています。

■素心
このように、“素心”とは、“汚れなき心”です。“汚れなき心”とは、邪な心持ちなどない、自由でニュートラルな状態に心を保つということではないでしょうか。交友関係に限ると、類は友を呼ぶというように、相手は自分の鏡でもあるので、自分に“おとこ気”も“汚れなき心”もなければ、相手も同じようになることはありませんし、続くこともありません。長い付き合いができる仲というのは、お互いに認め合うことができ、言いたいことを言い合える、そして互いに許しあえる仲といえるでしょう。心の平安を得るためには、このような人物を友人とするのがいいことは間違いないことです。会社同士の取引でも同じです。良い関係を構築し、維持するには、まず自らが”素心”たることが必要です。

■野心
“素心”の反対語は“野心”です。これは、密かに抱く大それた望み、分不相応な望み、たくらみ、です。政治の世界でも、企業の世界でも、野望、打算、野合などの含意があり、あまり好意的な意味で使われません。このような心根を持つ野心家の怖いところは、稀有壮大なことをやろうと考えてしまうことです。また、周囲への配慮には欠ける、自尊心高い、過大評価する、プライドが高く、馬鹿にされると人一倍腹を立てる等々の共通点があると言われます。さらに、頑張りすぎて燃え尽きることもあるようです。ヒトラーなどの独裁政治家は典型的な例ですが、大小にかかわらず、意外と身近なところに野心家はいるものです。政治家や経営者を見るときは気をつけたい視点です。

■私心
“野心”と似ているのは、自分のことしか考えない“私心”です。「動機善なりや、私心なかりしか」とは、稲盛和夫さんが、通信事業に参入する際に毎晩のように「通信事業を始めようとする動機は善なのか、そこに私心はないのか」と自分自身に厳しく問い続けた言葉です。その結果、「私心などない」と確信し、新事業に参入する決心をしたというお話です。それから約30年が経過しました。世のため人のために尽くそうという純粋な気持ちで創業し、その考え方に共鳴した社員が誰にも負けないほど一生懸命努力した結果は明白です。私利私欲や打算で物事をなすことはできたとしても、続けられることはありません。“野心”と同様に“私心”も“素心”と対極にあるのだと思います。

■こころざし
“野心”や“私心”のような汚れがない“素心”は、その根底に”志”がなければ、出現できないものではないでしょうか。守屋洋さんは、”志”とは、「1.心の中に自覚される鮮明な目標、2.それを成し遂げようとする強烈な意欲、3.そして、目標と意欲が合体したもの」と定義されました。”志”というと、高尚なものとか他人のために動くことだけのように思われがちで、嫌がられることもありますが、人として、人の集まりでしかない企業として、なくてはならない大切なものです。さらに”志”はやる気や根気などの大本です。「志気之帥也」(こころざしはきのすいなり)というように、目標を持てば、気力は自然と湧いてくるのだと、二千五百年も前から語り継がれていることがなりよりの証しです。