「給与DXのエムザス」 給与とシステム両方を本業に約20年

「歴史 〉 経験」

公開日:2026.09.01
最終更新日:2026.09.01
■「自分だけは例外」という権力者たち

「歴史は韻を踏む」「歴史は繰り返す」と言われます。もちろん、まったく同じ出来事が繰り返されるわけではありませんが、同じようなことは繰り返しているわけです。例えば、人間の欲望や恐怖、権力への執着は何千年経ってもそれほど変わらず、驚くほど似た現象を生み出し続けています。現在、国内外を見渡しても、「法の支配」を掲げながら、自らに都合の悪い法や制度、専門家の指摘には耳を貸そうとしない権力者が目につきます。権力を得るまでは法や民主主義を利用しながら、権力を得た後には、それらを自分の都合のよいように解釈しようとする。しかし歴史を振り返れば、そのような統治が永続した例はありません。本人は「自分だけは違う」と考えているのかもしれませんが、歴史という長い時間軸から見れば、何度も登場してきた典型的なパターンなのではないでしょうか。

■「無駄をなくせ」という言葉の危うさ
ただ、問題を権力者だけの責任にしてしまうと、本質を見誤ります。古今東西、危うい政治家に権力を与えてきたのは、結局のところ私たち一般大衆だからです。「既得権益を打破する」「無駄を削減する」こうした言葉は実に分かりやすく、喝采を浴びやすいものです。しかし、本当に「無駄」なのでしょうか。公務員を減らせばコストを削減できますが、行き過ぎれば行政サービスを担う人材が不足し、住民へのしわ寄せとなって返ってきます。待遇や仕事の魅力まで低下すれば、優秀な若者が公務員を目指さなくなります。「お上は無駄遣いをしている」という庶民感情は理解できます。しかし、壊すことは簡単でも、一度失われた行政能力や人材を取り戻すには長い時間がかかります。改革という言葉に拍手しているうちに、その代償を自分たちが払うことになる。歴史には、そんな皮肉も繰り返し登場します。

■「経験」だけでは見えないものがある
私たちは何かを判断するとき、自分の経験を非常に重視します。「役所に行ったら待たされた」「税金が高い」「自分にはこの制度は必要ない」。一人ひとりの実感としては、それも事実でしょう。しかし、このような全体の中のごく一部だけを根拠に社会全体の制度を判断することには危うさがあります。自分には不要に見える制度が、別の誰かを支えているかもしれない。平時には無駄に見える人員や設備が、災害や感染症などの非常時には社会を支える余力になるかもしれません。一人の人間が経験できる範囲は限られていますが、歴史には何百年、何千年という社会の成功と失敗が蓄積されています。「自分が経験した範囲では必要ない」という判断より、「過去にそれをなくした社会で何が起こったのか」を考える。そのために、それまでの前例を学ぶ意味があるのではないでしょうか。

■企業にも「無駄を削り過ぎる」失敗がある
これは政治だけの話ではありません。企業経営でも同じことが起こります。「無駄をなくせ」と人員を削り、教育費を削り、研究開発を削り、バックオフィスを削る。短期的には利益率が上がり、経営改革が成功したように見えます。しかし余力をすべて削った組織は、環境変化が起きた途端に対応できなくなります。さらに、現場を知らない経営者が数字だけを見て「ここは無駄だ」と判断すれば、長年蓄積されてきたノウハウまで失うことがあります。もちろん、本当の無駄はなくさなければなりません。しかし、「効率化」と「必要な能力まで削ること」はまったく違います。政治における行政能力も、企業における組織能力も、一朝一夕には作れません。何でも変えたり、無くしたりすればいいものではありません。歴史を学ぶとは、目先の数字だけでは測れないものの価値を知ることでもあると思います。

■AI時代だからこそ「歴史」が武器になる
AIが急速に進化する今、歴史を学ぶ意味はむしろ大きくなっているように思います。AIを使えば、過去の出来事や統計、企業事例を瞬時に調べ、比較することができます。しかし、情報を集めることと、そこから法則を見つけることは別です。「この改革は過去の何と何と似ているのか」「そのとき人々はなぜ喝采したのか」「結果として誰が利益を得て、誰が負担したのか」。こうした問いを立てることで、「既得権益の打破」を唱えるのは「別の誰かの既得権益を求めている」と同義であると気づくなど、歴史は単なる暗記科目ではなく、未来を考えるための材料になります。耳障りのよいスローガンを聞いたときほど、一度立ち止まり、その先に何が起こるのかを考える。AI時代に必要なのは、答えを早く知ること以上に、正しい問いを立てる力です。その問いを深くするための巨大な教材こそ、歴史なのだと思います。

■歴史に学ぶか、歴史の教材になるか
歴史を振り返ると、当時の人々には「いま自分たちが歴史的な失敗の途中にいる」という自覚がなかったケースが少なくありません。「既得権益を壊せ」「無駄をなくせ」「あの人なら変えてくれる」。その瞬間には魅力的に聞こえ、多くの人が支持した選択が、後世から見れば「なぜ誰も立ち止まらなかったのか」と不思議に思えることがあります。そして政治の質が低下したと嘆く前に、その政治家を選んだのは誰だったのかも考えなければなりません。政治でも経営でも、自分の経験だけを絶対視せず、「過去に同じようなことはなかったか」と考えてみる。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があります。私自身も、未来の歴史書に「なぜ当時の人々は気づかなかったのか」と書かれる側にならないよう、先人の知恵でもある歴史から学び続けたいと思っています。