fbpx

「給与DXのエムザス」 給与とシステム両方を本業に約20年

社長とれんど考察

「本質 > 現象」

2020年2月1日

■人生百年時代
機械や道具の革新的な進歩により、衣食住に割く時間やコストは相対的に下がり、人々の生活は豊かになり、医療や食糧の発展も相まって、寿命は大幅に伸びて、人生百年時代と言われる世の中になりました。必然的に働く期間は延びていきます。大企業経営者は先行き不安心理にとらわれ、四十歳からリストラをやり出すなど、日本の雇用慣行も変化し、終身雇用が崩れ、転職が当たり前になってきました。そういう風習がサラリーマンの学び直し(リカレント教育)という現象を生み出しています。長生きすることになったことが、ひと山で済んでいた人々の職業人生をふた山以上にしています。勉強することは大切なことですが、改めてそのポイントを考えてみたいと思います。

■(目に見える)現象重視型
サラリーマンの勉強というと、真っ先に資格試験や検定の受験勉強が挙げられます。阪神大震災をきっかけに自分に危機感をおぼえ、試験にチャレンジした経験から言わせてもらえば、目標が明確に持てることと試験というゴールがあることは分かりやすいメリットだと思います。また、知らなかったことを知れることや問題集や模擬試験で自分の知識の習得度合いが見える化できるのも有益です。試験勉強は四の五の言わず、とにかく暗記です。いかに短時間で効率的に詰め込むかが成否のポイントです。それを繰り返し、繰り返しやるのみです。しかし、そこで終わってしまうと、子供時代からの唯一絶対の答えがある問題を解くもの、つまり答え合わせでしかありません。

■現象重視の検証
資格取得や必要な知識の習得など、一定の目的をもって取り組む勉強は、自分だけではなく、他人にも分かりやすく、特に難易度が高いとされるものなら職業にもステータスにも有益になることでしょう。末法の世の中にて、お念仏で難しいことを簡単に見せることによって、仏教を大衆化した法然上人のように、多くの人にメリットを与えるにはとてもいい方法だと思います。一方、合格を最終ゴールだと錯覚し、その後の道筋を誤ってしまうこともよく聞く話でもあります。その後の巧拙の分かれ目は、次に何が来るのかという、目に見えないものやことを考え続けられるかどうかということかもしれません。

■(目に見えない)本質追及型
目に見える、見えやすい現象と対極にある本質とは何でしょうか。答えなどわかるはずもありませんが、現象からパターンを解析する科学、現象を論理的に理由付けする哲学、人生の不思議の理由を追い求める宗教、いずれも見えないことを見ようとすることであり、本質を追求することだといえます。そして、本質とは、現象の始まりであり、多くの現象の共通項でもあると思います。これをつかむことができれば、いちいちバラバラに暗記しなくても自ずと求める答えやヒントを導くことに近づけるのではないかと思います。では、このような唯一絶対の答えがない世界であり、学校の科目にもなりようのないテーマをどのように学べばいいのでしょうか。

■本質追及の検証
本質を追求するための唯一絶対の方法はありませんし、何をやるかは自由です。この自由というのが曲者です。多くの人は自由を求めるとは言いながらも、他人に決めて欲しいのが本音だからです。ちなみに本質を追求するには、やはり仕事やプライベートにおいて色んな現象を見過ごさず、それらの「そもそも」を、どこまでも考えずにはいられなくなることです。最近は哲学、科学、宗教そしてそれらのブレンドなどの書籍が多く発売されており、参考にできるかと思います。そして一見関係ないような現象に共通点を見出したり、解決の糸口を見出したりできれば、対象とする範囲が大きくなりますが、そこまでで終わると逆に評論家と言われてしまうことになります。

■一番大事なのは実践
『修身教授録』で有名な国民教育の師父と謳われた森信三さんの著書によると、「すべての真理は現実の只中にあり、本というものは有力な手引きや媒介でしかないのだ」として、読書や勉強は、真理つまり本質的なことは経験つまり実践にあると伝えています。一方で、読書や勉強を抜きにした経験のみでは、せっかくの経験の深さを体得することは難しいとも言われています。つまり両方がバランスよく必要だということですが、あえて言うなら実践して経験しなければ読書も勉強も生きてこないということです。プロスポーツにしてもビジネスの世界にしても選手が評論家では役立ちません。さらに、年齢やポジジョンが上がるにつれ、成果を出すことが求められるのです。

■アナログ人間
これからますます本格化する高度情報化社会、デジタル化社会において、それなりのポジションと報酬を得て、その状態を続けていくには、勉強し続けることは必須です。そして大切なのは単に続けるだけではなく、自らに求められる成果をアウトプットし続けるためにも、インプットをその何倍もし続けなければならないでしょう。その中身は現象的なことの暗記ではなく、現象の本質に気づくためのインプットをすることです。それは、コンピュータやロボット、機械ではなく、人にしかできないことであり、アナログ的なこととも言えます。多くの世界で陳腐化が早まる世の中だからこそ、「そもそも」という木の根っこに気づくことが必要となるのでしょう。