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「給与DXのエムザス」 給与とシステム両方を本業に約20年

社長とれんど考察

「協調 > 妥協」

2019年6月1日

■遠くへ行きたいならみんなで行け
銀行からもらった一口メモで、「早く行きたいなら一人で行け、遠くへ行きたいならみんなで行け」という言葉を知りました。これはアフリカのことわざで、サバンナを移動するには、猛獣や毒虫に襲われたり、体調不良や怪我に見舞われたりと、何かと危険が伴います。短距離なら一人でスタスタと歩いた方が早いかもしれないですが、何日も要するような長旅になると、みんなで助け合いながらでないと、無事に目的地に到達することは難しいということから来ています。さらに城山三郎さんが座右の銘にしていた言葉として「ゆっくりと行くものは無事に行く。無事に行くものは遠くまで行く」というヨーロッパのことわざもあると紹介されていました。

■早く行く場面
現実にはアフリカに行く可能性は殆どないでしょうが、この言葉をビジネスの場面に類推して考えてみました。早く行かないといけない場面とは、短期的にやらなければならない仕事でしょうか。普段から計画的に進めておけば、機会は少ないかもしれませんが、想定していなかった仕事が、急に顧客や上司から依頼されることは有り得ます。そういう急を有する場面では、関係するメンバー全員と話しする時間がないことが多いでしょうから、最低限の報告のみはするとしても、当事者として一人で判断して進めなければならないと思います。緊急事態とか、非常事態は説得力を持ちますが、準備不足の場合も多々ありますので、この場面はあまりない方がいいように思います。

■遠くへ行く場面
中期や長期にわたる計画を立てることは「遠くまで行くこと」を目指している場面です。この場面では、一人で行なうことは不可能になりますので、多くの人を巻き込んで行くことが求められるようになります。そうしなければ大きな目標には到達できません。大きなプロジェクトはもちろん、企業の成長過程もこの場面です。特にカリスマリーダーと言われる人は要注意です。自分の能力にいくら自信があっても、協力者を集め、組織を動かしてこそ、ビジネスは大きく育てることができると言われます。中長期的スパンですから、この場面で一番の落とし穴は、結果が出るまでに時間がかかることであり、リーダー自身が待ちきれるかどうかがポイントになると思います。

■衆知を集める
リーダーたる人が本気で「遠くまで行こう」と思わないと始まりませんが、思っただけではダメで、具体的な行動が必要になります。ちなみに、松下幸之助翁は、「衆知による経営が行われない限り、その会社はやがて行き詰まるだろうと思うんであります」。さらに「衆知を集めた全員経営」に優る経営はなく、「衆知を集めなければならない」と言っています。その強い思いが、日々の行動に表れていました。具体的には、誰に対しても、人の話をよく聞き、質問魔と言ってもいいほど質問をして聞き出していたらしいです。人の話を聞くときには、机の上の物をすべてどけて、身を乗り出して、まさに全身全霊で聞くといった聞き方であったとのことです。

■アクティブリスニング
このように、職場において他のメンバーの衆知を得たいのなら、とにかく相手のことを知ることから始めなければなりません。幸之助翁の聞き上手は有名ですが、最近ではアクティブリスニングという言葉でビジネスでも重要視されています。それは、相手の言い分を聴く傾聴と、こちらから質問して聞き出す問答の二つから成るそうです。また、相手が意見を出し易くすることも必要です。リーダーとメンバーの間のコミュニケーションをオープンにし、リーダーとメンバーの結びつきを強くし、信頼関係を築くことを目指して、one-on-oneというミーティング手法が取り入れられています。このようにコミュニケーションの技を磨くことは「遠くに行く」ために必須となります。

■協調的なコミュニケーション
これからの時代、ますますダイバーシティの実践が求められていきます。会社や職場が高いゴールを目指して、「遠くに行く」ためには、パートタイマー、テレワーカー、高齢者、若者、異性、外国人といった多様な社内のメンバーとも、プロジェクトなどで協働することもある社外の専門家とも良い関係を作っていかなければなりません。そのためには、他者と会話しないと始まることはなく、さらに行ったり戻ったりの相互作用を積み重ねていくことが必要です。その結果、協調的なコミュニケーションが働いて、相互作用が十分に発揮されているチームは「遠くに行く」ことができる可能性が高まることは間違いないでしょう。

■妥協することと協調すること
このように、「遠くに行く」ためには、他者との協調が必須ですが、似て非なるものに妥協があります。心理学者の河合隼雄さんは、著書の中で、妥協と協調の違いについて、「協調というときは相手の存在だけではなく、自分の存在も生きていなくてはならない。両方をぶつかりあわせて、どうしようかと考えるところに苦しみがあるが、それを解決したときは新しい局面がひらかれる感じがあり、そこでは両者とも生かされている。ところが、妥協というのは、安易に自分を殺してしまっていることが多く、そこに新しいことがはいって来ない」と言います。妥協ではなく、協調によって他者に理解され、また、他者によって再現できなければ「遠くには行けない」ということなのでしょう。