「給与DXのエムザス」 給与とシステム両方を本業に約20年

社長とれんど考察

「木鶏 > 闘鶏」

2017年8月1日

■閉会中審査を見て
最近の文科省、防衛省の様々な問題を見ていますと、”官僚支配”を崩そうとする政治家に対し、既得権益を死守するための抵抗の凄まじさを感じます。それに関し切られたエリート次官の個人的な悔しさ・恨みの根深さや小人ぶりもよく分かります。そして、ことさら大騒ぎする野党やマスコミに誘導され、物事の表層だけしか見れず、本質を見誤る人々に違和感を感じます。本来、政治主導として事務次官会議すら廃止したこともある民進党は、抵抗する官僚を自民党とともに攻めるべきなのに、党利党略で相手の揚げ足をとるだけの体たらくにもうんざりします。それらはともかく、この問題の本質の一つである「リーダーシップと組織のあり方」を自分なりに深く考えてみたいと思います。

■リーダーシップのあり方
官僚から様々な内部文書がリークされています。これは内部告発ですから、内部の不満が一線を越えていることの証しだと感じます。許認可などの権限を他に取られることに対しての不満やトップの資質に対する不満などが噴出するのは、大なり小なり企業でもよくあることです。政治家や社長からみれば、クルマを運転していて、ハンドルとブレーキが意に反し、コントロール不能となってしまうのと同じことですが、最大の責任は運転手である自身にあります。組織つまり部下たちを、強行的に制御しようとするほど、思うようにならなくなります。いまさらでもありますが、これからの時代に求められているのは、共感と信頼を求心力として組織を動かせるリーダーシップだと思います。

■信なくんば立たず
最近の様々な政治問題は、共感と信頼を求心力とすべきところが、疑惑と不信が遠心力となってしまい、地方選挙や支持率にその結果が反映され、特に政策に大きな問題があるわけでもないのに、現政権は成立以来のピンチに立たされました。信頼の回復が大切ですが、『論語』の一説が参考になります。孔子は国が成立していくために必要なこととして、軍備と経済力、そして国民が政治を信頼し、互いに信じ合うことの3つを挙げ、「どうしてもやむを得ないときには、何を捨てたらよいでしょうか」との質問に、まず軍備を、次には経済を捨てるように答えられ、「民、信なくんば立たず」と結びました。政治家もよくいう言葉ですが、決してお題目にしてはならないと思います。

■君子固より窮す。小人窮すれば斯に濫る
さらに『論語』の一説です。弟子が先師に尋ねた。「君子も困ることがありますか」先師は答えられた。「君子とて、もとより窮することはある。ただ、小人は追い詰められると、見識がないので右往左右するのだ」と。当然のことながら、トップも困難に遭遇するのです。いや困難しか遭遇しないかもしれません。にもかかわらず、いまの政治家を見ると、野党やマスコミのみならず、一般大衆のヤジにまで、いちいち反応したりするのは、ここでいう小人になってしまっていないでしょうか。SNSなどで必要なことを発信することは大切だと思いますが、余計な一言も多いのではないでしょうか。口は災いの素なのです。政治家も企業の経営者も同じですが、君子はもっと泰然として対応すべきです。

■木彫の鶏のよう
参考になるのが『荘子』にある木鶏の話しです。闘鶏好きな王のために軍鶏を養って調教訓練する人がいました。十日後、王が“もうよいか”と聞くと、“いや、まだいけません、空威張りして「俺が」というところがあります”。さらに十日後、“未だだめです。相手の姿を見たり声を聞いたりすると昂奮するところがあります”。また十日後“未だいけません。相手を見ると睨みつけて、圧倒しようとするところがあります”。さらに十日後、初めて“まあ、どうにかよろしいでしょう。他の鶏の声がしても少しも平生と変わりません。その姿はまるで木彫の鶏のようです。全く徳が充実しました。もうどんな鶏を連れてきても、これに応戦するものがなく、姿をみただけで逃げてしまうでしょう“と言いました。

■帝王学
政治家はじめ、経営者やリーダーと言われる人たちは、困難な場面に、乱れるような小人や相手をやっつける闘鶏ではなく、いつも動じず、戦わずして勝つような木鶏を目指すべきです。どんな場面に出くわしても、先頭に立って、慌てず騒がず、平常心で最善の道を選択し、力強く進んでいく人物になる、そのための学びを帝王学というのだと思います。学問には、本学(徳性を養う人間学)と末学(知識や技術)がありますが、もちろん本学のことです。これは学校には科目はないので、自分で学ぶしかありません。ものには必ず「本・末」があり、これを逆にすることを本末転倒と言いますが、政治家も官僚も経営者も、本末が転倒しないように心しなければなりません。