社長とれんど考察

「進化 > 停滞」

■令和3年/2021年は辛丑(かのと/うし)
皆様、あけましておめでとうございます。昨年はお世話になり誠にありがとうございました。今年もよろしくお願い申し上げます。さて、2021年の干支は辛丑(かのと/うし)です。「辛」は字の通り、からい、つらい、きびしい等の意味があり、また下からのエネルギーが上に出てくる字の形から、新生、革新にも通じるとのことです。また、「丑」は、始めとか養うという意味があり、曲がった腕や土の中の芽が伸びようとする姿を表すとされています。令和三年の「辛丑」は、昨年発生したコロナ禍が当面は続くでしょうが、若干のゴタゴタはあるものの、何か新たなものが生まれてくるという年になるということではないでしょうか。

■生成発展
感染者数の増加傾向は越年し、第三波と言われる状況が続いていますが、大きな目や長い目で見れば、地球や人類は発展し進化を続けていますので、疫病など一過性の問題は必ず収まります。松下幸之助翁は、「生成発展とは、日に新たにということであります。古きものが滅び、新しきものが生まれるということであります。これは自然の理法であって、生あるものが死にいたるのも、生成発展の姿であります。これは万物流転の原則であり、進化の道程であります。お互いに日に新たでなければなりません。」と、一時的な困難があったとしても、たゆまなく前進することの意義、常に未来への展望を持つことの大切さを説き続けられました。

■技術革新の歴史
この生成発展に寄与しているものに技術の革新や道具の発展があります。古くは石器や土器、青銅器や鉄器から始まり、産業革命による動力源や機械の発展、そして現在はデジタル技術を活用した様々なサービスなどです。与えられた時間のほぼ全てを食料の確保に割かれていた時代から段々と進み、現代のようにお店やネットですぐに食料を調達でき、食事を終えるまでの時間がすごく短くなりました。これら技術や道具は、今を生きるための作業を自動化・無人化・省人化を実現し、未来に向けた生物の延命や豊かさや快適さの追求を目的としてきました。これにより、様々な事象を研究する時間が生まれ、将来の展望や不安の解消を考えることができるようになりました。

■現状維持は後退の始まり
このように、先人たちは不安や心配などの恐れから脱却するために様々な知恵と工夫を積み重ねてきました。その結果一見豊かになった現代人はその経緯を知らずか、忘れたか、「今がうまくいっているのだから十分だ」と考えて、現状に安んじてしまいがちです。また今の心地よさを失うことを恐れ、ともすれば変わることや変えることに不安を抱くのも一面の真理であります。しかし現実には、外部環境のなかでしか生きられないのも事実ですし、生成発展の原理に背くとともに、技術革新の歴史にも逆行することになりますので、「今日より明日、明日よりあさってと、日に新たな改善を心がけたい」との松下幸之助翁の言葉を、アフターコロナに向けて心に留めたいと思います。

■ずっと成長できる人
アンダーコロナのなか、一気に加速したのは中高年のリストラです。なぜ中高年がリストラ対象になるのか、それは停滞、後退している人が多いからです。成長が止まる、後退するのは、2,30年も頑張ってきたからもういいやと自分の事しか思わず、人生百年という時代認識に乏しいからです。思考や行動がかなりずれてきたことに気づいていません。外部環境に対応できず倒産する会社のようです。ずっと成長できる人は違います。ずっと成長できる人は、世の中という外部環境の変化とともに変化、進化できる人です。つまり、自分が思い込んでいることに気付いて自ら良い方向に変われる人であり、謙虚かつ協調性の高い人、つまりリストラされない人なのです。

■生涯つづく発達過程
ずっと成長できる人や存続する企業になるには、常に外部の環境の変化に応じて良い方向に変わっていく必要があります。2,3割多めを目指して頑張って結果として現状維持になることはあるにしても、最初から現状維持でいいやと思うと恐らく70%くらいに着地するでしょう。進化どころか停滞に陥ってしまいます。ではどうすればいいのか、アメリカの心理学者エリクソンは、「アイデンティティとは個人にとっても、社会にとっても、その大半が無意識的な、生涯つづく発達過程である」と述べました。つまり、答えが簡単に見つかることはなく、真剣に自分自身を求め、答えを探して考え続けるプロセスこそが、停滞を脱し進化を続ける唯一の手段なのかもしれません。

■人間は考える葦である
フランスのパスカルは、「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である。」という一節を残しました。この言葉の意味は、人間というのは弱い面もたくさん持っているが、「考える」という働きがあるから偉大であるということです。外部環境が生成発展するなかで考えることが求められるのは必定です。では、考えるとは何か。それは、どうすれば上手くできるだろうか、人はどうしているのだろうか、先人はどうしていたのだろうか、事象の経緯や動機等々を追求することです。デジタル技術の本質は、人のアナログ化でもあり、私たちは「考える葦である」ことを磨き続けることにのみ道筋が見えてくるように思います。