社長とれんど考察

「 かもしれない > だろう 」

■交通標語
最近、免許証の更新をしました。その講習の際、「だろう運転」ではなく「かもしれない運転」をしようという交通標語に目が留まりました。(人が飛び出してくる)「かもしれない運転」は、(人は飛び出さない)「だろう運転」より、事故を起こす確率は低くなるので、「かもしれない運転」を心がけ、事故を起こさないようにしましょうというものです。この比喩は運転だけに限ったことではなく、人生で最大の問題である人間関係、つまり、人と人のやりとりにこそ、この「かもしれない」が威力を発揮することを発見しました。「かもしれない」は、思い込むことなく、あれこれ考え、色んな場面を想像し、先手を打てるため、周りの人との衝突を避けることができるからです。今回はこれを掘り下げてみます。

■「てるみくらぶ」か「はれのひ」か
最近、人々を怒らせたひどい話の一つは「はれのひ」問題です。ちなみに昨年は「てるみくらぶ」という似たような話がありました。この二社に共通する一つ目は、破産直前まで一般の消費者からお金を集め続けた詐欺行為をしたことです。二つ目は、一時的とはいえ、アイデアが成功し、儲かったことです。後から思うと、それはほんの一瞬だけでしたが、これまで苦労してきた甲斐あって、ようやく上手くいきだした。これからもずっと上手くいく「だろう」と錯覚するという、この小さな成功体験が人を迷わせる罠なのです。晴れ着にしろ、旅行にしろ、人の楽しみを奪う結果を想像することはできなかったのでしょうか。消費者との人間関係が破綻した分かりやすい事例です。

■排除の論理
次は、「だろう」運転で有権者に嫌われてしまった政治家の事例です。それは昨年の総選挙における「排除の論理」です。悪者を作りあげ、それを徹底的に責めることにより、自らの正当性を主張する手法で成功しましたが、ひょんなことから本音が漏れてしまいました。政党ですから、政策が違う人たちと一緒になることはできないのは正しい理屈だとは思いますが、もう少しやり方があったのかもしれません。ここは焦りというか、今しかない、今なら勝てる「だろう」と強く思わせる風か空気のようなものがあったと推察されます。昨年の流行語となった「排除します」というものの言い方は、強い反発を呼んでしまい、有権者との人間関係が破綻してしまった事例です。

■根拠なき自信過剰(慢心)
次に「だろう」運転を引き起こす原因を追究します。その一つは「慢心」です。私たち一般人の根拠なき自信過剰も「だろう」運転そのものです。ビジネス本などでは、「できる人は根拠なき自信を持て」というものがあります。いかにもですが、あくまで”適切”に持つべきものであって、”過剰”はいけません。自分の世界観・マクロ観・宇宙観が狭ければ狭いほど、この罠にはまってしまいがちです。たとえば「あいつなんか大したことない」(だろう)と他人を低く見て(自分を高く見過ぎて)しまいます。こうなると、本人の成長が止まってしまいます。佐々木毅元東大総長は東大生に「東大に入ったら自分よりすごい人に出会いなさい」と言われるそうです。自信には根拠が必要ということでしょうか。

■根拠なき万能感(稚拙)
二つ目は「稚拙」です。『子どものまま中年化する若者たち 根拠なき万能感とあきらめの心理』という本の説明書きには、「幼児のような万能感や自己愛を引きずる。(中略)今、そんな、子どもの心のまま人生をあきらめきった中年のように生きる若者が増えている。」とあります。泣き叫びさえすれば親が面倒見てくれた幼児の頃から内面は止まったままです。誰かがやってくれる「だろう」との思考が根底にこびりついています。経営者が経営をしない会社が上場できてしまうような錯覚するなんてあり得ないにもかかわらず、 (経営という仕事を)誰かがやってくれる「だろう」と放棄し、経営に失敗した社長たちと同類ともいえるでしょう。

■生活習慣病に要注意
根拠なき自信過剰で傲慢にならないよう、根拠なき万能感から何でもできると錯覚しないよう、前もってやるべきことは何でしょうか。こういうのは、一日でも放っておくと元に戻ってしまう形状記憶のようなものですから、やはり毎日毎日ルーティーンをするような生活習慣を身に着けるしかありません。孔子のように「吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか」と毎日三省し、「吾十有五にして学を志し、三十にして立ち、四十にして惑わず。五十にして天命を知り、六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」と一生涯着実に戒め続けるしかないような気がします。それくらい人間というものは・・・。