社長とれんど考察

「求心力 >遠心力」

■求心力とは
太古の昔から、この世の中のありとあらゆる物事を様々な観点からみて、陰と陽の二つに分類する考え方がありますが、最近はつくづく、人生やビジネスは陰と陽の繰り返しだなと実感しているところです。良いことがあれば良くないことに変わり、良くないことがあると良い方向に変わります。もちろん政治や経済もこの法則に則っています。ほんの数年前までは猫の目宰相でしたが、現在は「安倍一強」と言われる政治状況です。この現象を自分なりに掘り下げてみますと、「安倍さんにもう少し長くやってもらおう」という力が働いているように感じます。様々な環境変数はありますが、それも含め、組織のリーダーは民の心を集めなければならない、つまり「求心力」が要るのだと感じ入ります。

■遠心力とは
求心力の反対を「遠心力」とします。組織やリーダーのもとから、人々の心が遠ざかっていくことです。政治でも経営でも、組織のリーダーに魅力がないと、人は集まらず、組織にも力強さは生まれず、さらに遠心力が高まります。またまた政党がくっ付こうとしていますが、我が国では四半世紀前くらいからこの動きが絶えることはありません。でも確固たるものが生まれないのは、そこのリーダーに遠心力が働いているからではないかと感じます。自分に合わない人たちを受け容れないという原理主義的な発想では多数派を形成することは不可能でしょう。一方で、無理矢理くっ付いても必ず瓦解するので、余程のことがない限り、しばらくは「安倍一強」が続くのではないでしょうか。

■求心力のあるリーダーシップ
では、人々の心を集めるリーダーシップとはどういうものでしょうか。ラグビーの平尾さんは、著書の中で「リーダーたる者は、いかにフォロワーの力を拡大し、結集させるかを考えなければならない。そのために有効なのは、おのれの求心力をもとに周囲の人間を巻き込んでいく、『巻き込み型』リーダーシップなのである」。と述べられています。これを参考にして、企業において部下の立場から考えると、それは仕事の実務面における拠りどころと、メンタル面での拠りどころになる上司だといえます。これは、単に知識や情報を多く持っているというだけではなく、正解がないテーマに部下と一緒に考え、向かうべき方向に後押ししてくれるということではないでしょうか。

■遠心力のあるリーダーシップ
本来、リーダーシップとは「人々の心を一つにする働きかけのこと」と定義されるので、そもそも求心力のことであるはずですが、良くないリーダーシップを敢えて「遠心力」としますと、責任を取ろうとしないリーダーには誰もついてきません。リーダーが尊敬できないなど、部下の求心力の中心にリーダーがいないからです。これを突き詰めると、私利私欲のリーダーには遠心力が働いているように思います。分かり易い例として、豪邸と高級車、過去の栄光など自分語り等々、見栄張りのええ格好しぃのリーダーの場合、部下はドン引きします。しかしながら、給料や処遇がある程度もらえている場合は、口に出すことはありません。部下に諌言してもらえないのも遠心力なのかもしれません。

■マネジメントよりリーダーシップ
コッター先生は、リーダーシップとマネジメントについて、「リーダーシップ」は、組織をより良くするために、方向性を示し、意識の変化を積極的に促す行為であるとし、「マネジメント」は、定まった方向に向け、複雑な環境にうまく対処し、既存のシステムの運営を続けるために働きかけることと定義しました。両者は補完関係にあるとしていますが、企業のトップはマネジメントよりもリーダーシップが求められるとしています。ここでも求心力は必要であり、そのために必要な行動は、課題の設定と人脈作りとしています。これを読み解くと、とどのつまり、人々に好かれること、嫌われないことがとても重要なキーワードだと見えてきます。

■「名こそ惜しけれ」
多くの人々が嫌いなタイプは、私利私欲が強い人で、好きなタイプは、世の為、人の為にできる人です。先月のNHKスペシャルでは、司馬遼太郎さんは、鎌倉時代の武士から始まる「私欲を恥とし、他者に尽くす“名こそ惜しけれ”という公の意識こそが近代国家となる原動力になった」と考察したと伝えました。企業では、リーダーの立ち位置を強く自覚し、部下の成長のために全力を尽くす、この姿勢が部下を引きつけ求心力となります。こんなことは学校では教えてくれません。もちろん試験もありません。社会人としての生活が試験みたいなものです。「人間は死ぬまで自分との闘いですよ。相手に勝つんじゃない、自分に勝たなきゃ」とは、元横綱・大鵬の納谷幸喜のお言葉です。合掌。