社長とれんど考察

「百年先 > 目先」

■百年の計
最近見聞きした色んな場面で感じているのが「百年の計」ということです。目先の短期的なことに世の中は群がり、そしてアッと言う間に過ぎ去っていくように感じます。「国家百年の計は教育にあり」とも言うそうですが、語源は『管子』の「一年の計は穀を樹(う)うるに如くはなし。十年の計は木を樹うるに如くはなし。終身の計は人を樹うるに如くはなし」とのこと。現代では、略して「十年樹木、百年樹人」と表すそうです。先人の知恵を探求するため、多角的に歴史を学んでみると、最近の出来事を見て、「もっと先のことを考えましょうよ」と言いたくなることが多いと感じています。

■安保法制
シルバーウィークで世の中が盛り上がるなか、もめていたのが安保法制です。論争ではなく、粗探しの大騒ぎといった様相で、某党首が”役人が法案成立を前提とした書類を準備していた”と指摘し騒ぎました。これが悪いのなら我が国の官僚機構の生産性は相当に落ちることでしょう。また、対案も出せずに学者意見のみで押し切ろうとした党もありました。その他も含め、すべてを細かく見ていないので本当のところは分かりませんが、つくづく我が国の表現の自由は素晴らしいと感じつつも、自分の安全と国の安全を同じ土俵で論じる人が目立つのに違和感がありました。

■鬼怒川
某党の元大臣氏が鬼怒川の堤防を視察して事業仕訳したとか、しなかったとか。もし本当にそうだったとしたら、これは政治家ではありません。目先しか見られない我々一般庶民の意見を聞くことが駄目だとは思いませんが、大衆に迎合するのは職務放棄ではないでしょうか。字が示しているように、もともと鬼が怒るような暴れ川ではないでしょうか。政治家に目先だけ見て判断されると一番困るのは我々一般庶民です。原発事故が起きたときは、前政権のせいにしていました。今回も前政権の不作為が原因だと言われても仕方ないように思います。

■都構想
もう一つぶり返しそうなのがこちらです。残念ではありますが、大阪が東京にはなれないのと、堺が反対するのには明確な理由があるのです。それは地理・地形と歴史的背景です。そして文化も大切な要素です。これらを犠牲にしてでも進めるべき政策かどうかは疑問です。そもそも、公務員の組織と体制を変えると言うのがこの構想だと理解しているのですが、企業や住民が活性化することとは直接関係ありません。すでに時間が経過し賞味期限切れの政策をやるのは自らの実績を残すことが目的ではないかと勘繰るようになってきました。

■小林一三
NHKでドラマ化されたのが阪急の小林一三さんです。百年以上経過した今日、小林さんが作った電車も歌劇も住宅も百貨店も繁栄しているという結果を知ってしまうと、その礎を築いた小林さんはやはりすごいと思いました。まさに百年の計とはこのような大仕事をする方だなぁと感じます。しかしつくづく難しいのは、いくら動機が百年の計のつもりであったとしても、結果的に百年の計になるかどうかは、まったく分かりませんし、まして自分では見られないということです。歴史のターニングポイントを数多く学ぶ必要がありそうです。

■本当のリーダーとは
一橋の楠木教授は、「この人は頭がいいな、デキルな」と感じさせる人は、決まって思考において具体と抽象の振れ幅が大きいと主張されています。ともすれば、目先の具体的なことだけしか見えず、その背景や奥底にある抽象的、本質的なものは関係ないとする風潮に対する意見です。デキル人は物事に深みがあることを知っています。そして日々起こる数々の課題を解決するために必要な能力こそ、この「抽象」であり、別の言い方をすれば「普遍的価値」になるのではないでしょうか。つまり、本当のリーダーは高さだけではなく長さにも着目するわけです。

■今ここ
京大の先生の講演を聞く機会がありました。その先生は人間を知るためにチンパンジーを研究しているのだそうです。人間にしかないものが分かるからです。印象的だったのは、「チンパンジーは絶望しない」ということです。なぜなら過去も未来も考えないからです。「今ここ」しかないのです。一方、人間は過去も未来も考えるので絶望することもありますが、希望を持つこともできるのです。ですから、未来(抽象)に希望を抱きつつ、「今ここ(具体)」に集中して一つ一つ課題の解決を積重ねていけば、行きつ、戻りつしながらも、螺旋階段のように上昇して行けるのだと実感しました。